荏田南文化サロン Vol.17

~このまちで心豊かに~ 荏田南文化サロンVol.17 

 講演会「荏田のむかし」  講師 青木兼之氏

4月6日(日) 講師に青木兼之氏をお迎えし、

荏田町の昔のお話を楽しく聞かせていただきました!

「荏田のむかし」のおはなし

4月6日(日)、よく晴れて桜の花びらが舞い始めている中、会場の荏田南幼稚園の2階ホールには「やあ、久しぶり」と声を掛け合う人たちが集まりました。

講演された青木兼之さんは、生まれも育ちも荏田町で、現在も荏田東5丁目にお住まいで、長く民生委員も務めておられます。

青木さんは、荏田町のむかしを主に5つのテーマでおはなしされました。

荏田町の概要は谷戸ごとに集落を持つ農村地帯で、その生活や変遷について。農業生活に宗教や芸能が深くかかわっていたこと、旧大山街道の宿場町としてにぎわっていた荏田宿など、子ども時代の思い出も交えながら語られました。特産品については、小黒ニンジンや禅寺丸柿やタケノコ、養蚕が盛んだったこと。配布された資料をさらに読むと、とても興味深いことがわかりました。

「小黒人参」と商標がついた品種が全国的に人気が広まったのだそうです。小黒谷戸はいまのハーモス荏田と青葉郵便局の間で現在の荏田西2丁目、4丁目あたりの平坦地で、栽培農家は42軒。そのニンジンのルーツは埼玉県国分鮮紅人参の種子を購入してきて、美しく芯まで鮮やかな紅色になるように「小黒ニンジン採種研究会」を作って品種改良を重ね、ついに「小黒鮮紅大長人参」として品種登録。全国的にも販売されるようになったそうです。今回webでググってみたら、「鮮紅大人参」として種苗が販売されていますし、野菜売り場にも時々みかけますね。そのルーツが荏田発だったということでしょうか…驚きです。

タケノコはよく生産されていましたが、目黒式タケノコの栽培をする志村寿治さんのおはなしは感動的です。親竹から地下茎が表に伸びようとする(ふつうはここでタケノコを採取します。)のを地表に出さないように埋めて、その上に肥料をたっぷり与える「根いけ」を年に3回ほど繰り返して、1年間は親竹にひたすら養分を送るようにする。その翌年はこんどは、親竹が地下茎に養分を送るので、よく肥えた地下茎の芽がえぐみのないやわらかな筍となったのを収穫するのだそうです。この方法はたいそう手間がかかるので現在ほとんど生産されていないそうです。

この特産品の話で、6年前の荏田南文化サロンの講演会の川手昭二さんの話を思い出しました。住民参加がニュータウンの基本理念で、公団の開発事務所の所長だった川手さんは地権者を理解しようと荏田地区代表の青木公雄さんをよく訪ねたそうです。兼之さんのお父様です。農業を営む人の深い洞察、探求心、工夫、努力の積み重ねなどを教えられて、尊敬を込めて中国の古事「竹林の七賢人」のような人と話されていました。

港北ニュータウン開発が飛鳥田市長によって発表されてから今年でちょうど60年。山や畑は造成されて大きな都市になり、すっかり昔の暮らしの様子は見えなくなりました。しかし青木さんのおはなしに出てくる地名や寺社はまだ残っています。青木さんの家の道路に面した場所には小さなお社が建てられてお不動様が祀られています。また、お盆の時期に通りかかったら門の入り口にキューリやナスのウマが飾られていました。畑のある暮らしをする地権者の方たちの、新鮮な野菜を分けてくれる直売所もこのまちにはありますね。

休憩時間に参加者の皆さんに「緑道は たから」とデザインされた缶バッジをプレゼントさせていただきました。これは緑道のあるニュータウンの魅力を伝えたいと仲間たちで「緑道ハレバレマップ」を制作しましたが、そのご縁で荏田南小学校3年生の授業に呼ばれて緑道をいっしょに歩き、その感想を子ども達100人が缶バッジに込めて製作されたのです。

ニュータウンのこの街をふるさとに育っていく子供たちに、もっとその前にも豊かな文化が続いていたことを伝えていかなければと思いました。

江幡千代子

アンケート集計

ありがとうございました。

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日時:2025年4月6日(日) 13:30~15:30

会場:荏田南幼稚園2階ホール(荏田南小学校となり)

会費:500円

申込方法

20250406荏田のむかしチラシ③

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