第一回 荏田南文化サロン

「第1回荏田南文化サロン ~このまちで心豊かに~」が11月7日(土)に荏田南幼稚園2Fホールで開催されました。

リレートークの最後に、都筑クラブ副会長でもある横手美枝子荏田南連合自治会会長より荏田南の活発な文化活動のきっかけとなった荏田南の夏祭りについて、「子どもたちがどれほど楽しみにしているか」素敵なエピソードを紹介いただきました!

以下、当日のプログラムと様子です。

◆挨拶 世話人代表 今西逸生
◆リレートーク
①文化が生まれたきっかけの夏祭り
②旧フラミンゴ発行裏話
③まちの教室の話
④ロックが都筑に誕生したわけ
⑤シニアジャズ・都筑ジャズ協会
⑥港北ニュータウンイベントクラブの話
⑦DREAM OF CRASSIC星空のコンサート・
都筑クラブの話
⑧パチンコ店阻止の裏話
⑨荏田南連合自治会からの話
◆ゲストタイム
歌と合唱 響(ゆら)の会指導者  坂口桐子さん
◆交流&意見交換

★参加してくださった王子さんのコメントです。
王子さんは、荏田南のコミュニティー紙「フラミンゴ」をデータ化してくださいました。
http://pasopia.velvet.jp/sub/flamingo/
◆港北ニュータウンの居住開始が第二地区(荏田東第一小学校、荏田南小学校、荏田南中学校、けやきヶ丘、みずきヶ丘、しいの木台、かしの木台住宅など)昭和58年、初めて住んだ住民がどんどん変化していく街に対して、自然発生的?に住民、企業、行政ともに新しい挑んだ活動があった。30年前からの活動の軌跡を振りかえって次世代に継ぐことが出来ないか?ということで第一回の荏田南文化サロンが開催された。この地域の記憶!

ちょうどこの時代に荏田南地区に移り住んだひとりですが、殆ど地域の活動には無関心で、会社と家の往復に懸命だった。この催しでの話はかすかに聞いていた程度でした。でも「フラミンゴ」という機関誌は注目して毎号読んでいました。

◆30年前からの活動のリレートーク
港北ニュータウンにかつて「フラミンゴ」という地域情報を発信していた機関誌があった。そのフラミンゴ誌準備号(昭和62年6月1日)から第62号(最終号)平成12年夏号まで63冊を電子化したデータです。発行は荏田南小学校区地域連絡会。編集はフラミンゴ編集室。途中から発行は荏田南連合自治会。発行部数は1万部、配布先は荏田南から新栄高校あたりまでのマンション、住宅。

この「フラミンゴ」の制作に関わった人たちのその当時の懐かしい話、エピソードを語り。その後、自主活動グループ「まちの教室」、「港北ニュータウンイベントクラブ」→「都筑イベントクラブ」→「都筑クラブ」「星空のコンサート」「都筑ポップフェスティバル」「横浜ロックサークル」などの活動内容、経緯、変遷などを語る。またロックグループの設立、都筑ジャズ協会の設立、荏田南連合自治会。パチンコ店建設反対活動など。盛りだくさんの内容でした。みなさん当時を思い出しながら生き生きした目で、輝いて見える人ばかりでした。

当時の機関誌「フラミンゴ」、高橋美江さんの著書、地図など、またパネル当時活動がわかる資料など展示してありました。
ちょっと同窓会的な内容になったのは仕方が無いかもしれないけれど、次回以降はまちづくりの未来志向、夢などざっくばらんに語り合って次の世代(ここをふるさととする人たち)に引き継いでいける提案など期待したいと思います。

この港北ニュータウンの住民活動の中心になってきたのは、まず最初に入居した荏田南地域の人々、良いにつけ悪きにつけ、自分たちで動くしかなかった。その経緯よく分かる説明だったと思う。これは記録としては残っていないけれど、まちの記憶として大切なものだと思う。30年前、みんなが何を考えて、何に困って、どう動いたか?なかなか興味あることだと思う。

◆響の会(坂口桐子さん・声楽家、ボイストレーナー)による合唱もあって楽しいひとときでした。坂口桐子さんによると歌を歌うのは体が歌うのです。3億円のバイオリンは高いとはいえ、お金を出せば買える。でも歌う体はひとりひとり作るもの。体を楽器として作っていく、その楽器が音を奏でる。それが歌うこと。なかなか含蓄のある言葉でした。

★当日届いた、おちさんのメッセージです。
ある時、ホコリッぽい広大な造成地にボコッと建設されたマンションに移り住んできた人たちがいました。何もない。なにもかも不十分。
でも、公団や市に「何とかしろ」と言うよりも、みんなで力を合わせることを選びました。それも楽しみながら。

まわりを見回すと、多士済々の人たちばかり。素敵な人たちとの出会いがありました。このニュータウンに新しい文化のタネをまこう。みんなが輝いて見えました。私もその中で輝くことができるかしら。

振り返ると30年。もちろん、この30年の間にはいろんなことがあったし、家族や環境も変わったけれど、30年前の「これからこの街で出発しよう」とみんなで思うことができた、その「わくわく感」と暖かな気持ちは今も変わらずに私の心の奥に息づいている。

命がつながれていくのと同じように、私たちの想いが新しく出会った人々につながっていくといいですね。多分つながっているのだと思います。今日、ここでそのことが確認できたら、またみんな幸せな気持ちになれますね。

おち たけお

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